大麦の種子を煎じて作った飲料

麦茶・麦湯は、平安時代より貴族が飲用していたとされる。以後、室町時代まで貴族が飲用し、戦国武将にも飲まれた。江戸時代には屋台の「麦湯売り」が流行した。天保に書かれた『寛天見聞記』には「夏の夕方より、町ごとに麦湯という行灯を出だし、往来へ腰懸の涼み台をならべ、茶店を出すあり。これも近年の事にて、昔はなかりし也」とあるように専門店である「麦湯店」も出現した。これは麦湯の女と呼ばれる14~15歳の女子が、一人で食事も何もなく麦湯のみを4文ほどで売るものであった。



なお大麦の収穫時期は初夏であり、獲れたての新麦を炒るのが美味であるため、夏の飲料とされた。明治時代に麦湯店も流行ると同時に庶民の家庭でも炒り麦を購入し飲用されるようになった。
昭和30年代に冷蔵庫が普及し冷やして飲む習慣が生まれ麦茶という商品も売られ始め、日本全国で麦茶という名称となった。なお、名称は太平洋戦争前には東日本は六条大麦を使用した麦湯、西日本は裸麦使用の麦茶となっていたという。

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